Bloody Blue

#6「The Contact」





 引き金を引いてしまった事を、レイヴンは後悔した。
 隣国へ向かうため、谷の下道を通っていた彼は真新しい血の臭いに気付き、銃を片手に走っていた。やがて目に映ったのは複数の谷に住むウルフ達に襲われている少女の姿。彼は反射的にウルフに標的を絞り、引き金を何度も引いた。ウルフ達を一掃し、襲われていた少女の顔を見て、普段冷静な彼でさえも思わず口から驚きの声が漏れた。今回の依頼の標的である、“ヴァル一味”のメンバーの一人、ルーシェだったからだ。
 手を出さず、あのままウルフ達に殺させていれば後始末も含めた仕事が楽だった。しかし、どちらにしろこのまま放置しておけば間違いなく死に至るだろう。応急処置をしているようだが、ちゃんとした手当てを受けなければ出血死すると外傷から判断できる。

 見なかった事にしたいところだが――と踵を返そうとしたレイヴンだったが、その瞬間これまでに感じた事のない頭痛に苛まれる。何かが走馬灯のように脳裏をフラッシュバックする。だが、それらの映像ははっきりと映る事はなく、ピンボケ写真のように次から次へと消えていくだけだ。

「くぅっ……!」

 脳裏を過ぎる映像の中、唯一はっきりと映っていたのが、まだ年端もいかない少女――いや、幼女といったところか。その幼女が地平線が見えるくらいに広い草原で無邪気に遊んでいる。そしてやがてこちらに気付くと、駆け寄ってきて手に持っていた小さな一輪の花を差し出し、にっこりと笑う。その口が、何かを言っていた。少ない言葉数だが、それが音となって聞こえる事はなかった。幼女はゆっくりと踵を返すと、また草原の方へと走っていく――……。
 フラッシュバックから解放され、レイヴンは我に返った。冷や汗が頬を伝う。察する間でもなく、先程の映像は自らの断片的な記憶の一部なのだろう。だが、彼には施設に預けられるまでの10歳くらいまでの記憶が一切なく、そして先程のようにその記憶が現れた事は今まで一度もなかった。

 ルーシェ……と言ったか、この少女が俺の記憶の中に何故いる――レイヴンは自問自答するが、答えが出る訳がない。そして次の瞬間には行動に移していた。暗殺者らしからぬ行為である事は承知の上だった。ただ彼は、このままルーシェを自らの手で殺す事も、見殺しにする事もできなかった。

「『殺しの対象を助けるなんて、何を考えている』などと、イネスには呆れられるだろうな」

 ポツリと呟き、レイヴンは倒れてぐったりしているルーシェの身体を軽々と持ち上げ、肩に乗せた。



×××



 谷を出たところの検問所で、レイヴンは先程の門番に適当な理由を話してルーシェの手当てをしてもらった後、早々に立ち去った。『連れて帰る』と彼が言ったのを止めようとした門番に、今回は銃を突きつけて強引に黙らせていた。本来であれば門番がその人物の身元を確かめ、近くの病院へ運ばせたりするところだが、あの場所にいたという事は、一種の隣国への不法侵入に当たると想像できる。仮に通行証を持っていたとしても、恐らく偽造だろう。彼と同じ闇稼業をしている以上、バレれば極刑は免れない。
 別にルーシェを助けるためではなく、あくまで己のためにレイヴンは動いていた。自分の過去を彼女が知っているとしたら興味がある。誰でも、失われた記憶というのは追い求めたくなるものだ。彼女が話した後で始末すればいい、彼はそう思っていた。だがしかし、この怪我の状態ではしばらくは聞き出せないだろう。銃口を突き付けて尋問するのは、彼の流儀ではなかった。
 自然に、それでいて速やかに聞きだせる方法はないものか――レイヴンはそう考えながら歩き続けた。もちろん、良い考えが浮かぶはずもなかった。

 やがてリゲツ国の首都、ベスタに到着するとさすがに人が多くなり、人々の視線がレイヴンに集中する。漆黒のマントの男が包帯だらけの少女を担いで歩いているのだから仕方がない。大勢の人間の視線が集中するのが苦手な彼は“EYES”へは少し遠回りになるが、路地裏へと移動した。路地裏は路地裏でホームレスや荒くれ者など厄介な連中が屯っており、女子供はもちろん、大人の男でさえ最低限近づかないようにしている。
 だがレイヴンにとっては、視線が少なければ通り道など何処でも良かった。

「おい兄ちゃん、ちょいと金貸してくんねぇか?」
「誰に断ってこの道を歩いてやがる! ここを通るんなら、通行料をきっちり払ってもらわにゃあなぁ!?」

 前者のホームレスはともかくとして、後者の荒くれ者は銃口を突き付けて黙らせる。銃は脅しの道具ではなく、殺しの道具だとはレイヴンも重々承知しているが、この程度の人間など殺す価値もない。それに路地裏とはいえ、銃声を放ってしまえば厄介な事態になりかねず、致し方のない判断だと自分に言い聞かせていた。
 だが所詮脅しは脅し。銃をホルスターへとしまってしまえば荒くれ者が再び調子に乗る。
 歩き始めたレイヴンの背後からナイフが抜かれる音がした。確認する間でもない、荒くれ者が腹いせに彼を刺そうとしているのだ。それに気付かぬフリをして彼は一歩やや大きめに踏み出し、それを軸足にして足を蹴り上げながら身体を捻る。蹴り上げられた足はまるで見えていたかのように荒くれ者の頬に命中し、後方へと吹き飛ばした。荒くれ者が地面に倒れるとほぼ同時に、手から離れたナイフがカランと音を立てて地面に落ちる。

「……さて」

 呟き、レイヴンはそのナイフをゆっくりと拾い上げる。それに気付いた荒くれ者が尻餅をついたまま後方へと後ずさりしていきながら両手を広げて『待ってくれ、悪かった』などと連呼していた。その態度が、レイヴンの逆鱗に触れる。
 彼はそのナイフを大きく開いていた荒くれ者の股間目掛けて投げつけ、すぐに踵を返して歩き出した。背後から聞こえてくる絶叫に似た悲鳴は耳障りでしかなく、彼はそれを聞かないようにして“EYES”へと急いだ。

 路地裏はどこも似たり寄ったりの家の裏口が多くあり、“EYES”も例外ではなく、看板も何もないその“正解”の扉を叩くことができるのは、その店を良く知る人間以外不可能に等しい。そしてレイヴンは、その店を良く知る人間の一人だった。
 コンコンコン、と“正解”の扉をノックすると、しばらくしてガチャリと扉が開く。出迎えた人間の格好を見た瞬間、レイヴンは溜息を吐いた。

「何よ、その溜息は」

 どうにも風呂上りだったらしく、バスローブだけを身に着け、金色の長髪をタオルで拭っているイネスがそんな彼の態度を見て溜息を返した。バスローブの下は何も身に着けておらず、豊満な胸が髪を拭きために上下している手と併せて揺れる。彼は別にそんなものに興味はなかったのだが、男としての本能がどうしてもそれを意識してしまい、クールを装っている彼は逃がす視線の先もなかったため、とりあえず目を閉じた。

「あら、今更私の胸に興奮してるの? うふふ、可愛いわ。このままベッドへ誘っちゃおうかしら?」
「冗談はそれくらいにしておけ。俺が担いでる物が見えないほど、お前の目は悪くないだろう」
「ん〜……隠し子? にしては大きいわねぇ、一体あなたが何歳の時に産ませ――」
「もういい、とにかく入らせてもらうぞ」

 イネスが言い終わるのを待たず、レイヴンは彼女が開けた扉を速やかに通って家の奥まで歩く。“EYES”は酒場兼“Bloody Blue”の面々の拠所となっているため、中は見た目以上に広い。やがて誰も使っていない部屋の扉を開け、綺麗に敷かれているベッドのシーツの上に、そっと担いでいたルーシェを降ろした。

「手当てを頼む」

 扉の方へ向き直ったレイヴンが、後ろからちゃっかりついてきていたイネスに話しかける。

「いいけどその子……今回の標的の一人よね? どういう風の吹き回し? 見たところ、あなたが負わせた傷でもなさそうだし」
「聞きたい事があるだけだ。それだけ聞いたら始末するつもりだ」
「どうかしら? あまりにも可愛かったから連れ帰って来ちゃっただけじゃないの?」
「……」

 仕事中は冷徹だが、普段は少々フザけた感じのイネスがどうにも彼は苦手だった。好きでもなく、しかし嫌いでもなく、ただ今回のように対応に疲れるのが嫌だった。言葉で返してもキリがないと判断した彼は、その鋭く、蒼い瞳を彼女へと向ける。

「はいはい、そんな怖い顔しないの。さ、包帯を巻き直すために一回服を全部剥いじゃうから出てって――」
「ん、んん……ん」

 レイヴンが言われずともと出て行こうとしたその時だ。ベッドからの呻き声は、間違いなくルーシェのものだ。彼とイネスは一斉に彼女へと近寄ると、ルーシェはゆっくりと重い瞼を開ける。視界がはっきりとするまで、何度も目をぱちくりさせている。
 なかなかの深手なのに、もう目を覚ますとはさすが同業者だな――と思った彼は、彼女が放った一言に衝撃を受けずにはいられなかった。

「……あなた達は? ……ここは? ……私は、誰なんですか…………?」





To be next...


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