#2「Blue “EYES”」 前を通り掛かるだけでツンと鼻を衝く酒の臭いは、仕事帰りの人間にとってはとてもそそられる臭いには違いはない。リゲツ国の首都、ベスタにひっそりと佇む酒場―――“EYES”は小さいながらも繁盛していて、夜になれば常連の客が酒を飲み交わして賑わう。店内ではクラシック調のゆったりとした音楽がかけられているものの、客達の喧騒はそれを遥かに上回る大きさだ。中には入った瞬間は耳を塞ぎたくなる者もいるが、一度入ってしまえばすぐに慣れて気にならなくなる。 リゲツ国の首都となれば酒場などいくらでもある。常連客達がこの“EYES”へ毎日のように足を運んでしまうのはやはり、店主と従業員が目当てだろう。 「アイナちゃん、ビールおかわりぃっ!」 「はぁーい!」 テーブル客の一人が手を挙げて従業員の一人―――白いウェイトレス姿が良く似合う少女に声を掛けると、彼女はにっこりと笑って答える。年は丁度飲酒が許されるくらいだろうか、可愛らしい笑顔とともに左目の瞳が茶色に対し、右目の瞳が瑠璃色なのが特徴的だ。 トタトタとカウンターの奥へ消えていく彼女の姿を目で追うその男の瞳はどこか寂しげだった。カウンターに一人腰掛け、冬でもないのに真っ黒いコートに身を包んだ彼は赤い色をしたグラスに入った液体をぐいっと胃の奥へと流し込み、フゥと小さく息を吐く。 「……なぁ」 「何?」 男がカウンター内の店主―――若い女性に声を掛ける。彼女の瞳も従業員の少女と同様に片方の瞳が瑠璃色をしていた。 「俺はいつまでこうして酒を飲んでいられるのだろう」 それを聞いた途端、『またか』といった表情で店主は嘆息を吐いた。 「338回目」 「……何がだ」 「その台詞よ。あなたが私に聞いた質問の回数。毎日聞いてるとそろそろ別のが聞きたくなるわねぇ」 「フン……。お前は良くこうして働いていられるな」 男が呟いたと同時にカウンターの奥へ引っ込んでいた少女がビールの入ったグラスを片手に再びトタトタと出て、客のところへ急ぐ。それを羨ましそうな瞳で―――否、不思議そうな瞳で見つめるその男の口からはまた嘆息が漏れる。 「イネスもアイナも、良く普通でいられる。……俺には無理だ」 「逆よ。私達は何かしてないと気が気でならないのよ。毎日酒を飲んで辛気臭そうに考えているあなたと違ってね」 空になった男のグラスをイネスと呼ばれた店主が同じボトルを注ぎながら言う。 「あなたもここで働いたら? 美人姉妹とクールな色男、いいじゃない? なら若い女性のお客さんも増えて更に忙しくなるのに」 「俺に接客は向かん」 「あら、私の代わりに黙ってお客さんの愚痴を聞いてるだけでいいのよ?」 「それでも、俺はやらん」 そう言って男が注がれたばかりの酒を一気に飲み込んだその後だった。カラン、と音がして開けられた扉。入って来たのは、まだ14、5歳くらいの幼い少女だった。長い黒髪をツインテールに束ね、頭には小さな星の形をした髪飾りが店の明かりに照らされて輝いている。彼女を見た酔った客達が茶化すが、少女はそれをまるで聞こえていないかのように振る舞い、きょろきょろと周りを見回した。 「――お客さんよ、あなたにね」 「……チッ」 イネスにそう言われて入り口の方を振り返ったのがまずかった。男と目が合った少女が真っ直ぐに彼の元へと歩み寄り、突然深々と頭を下げた。男はすぐにカウンターへと向き直した為、それを見る事はない。 「あの……ありがとうございました」 「何の事だ」 男は彼女の方を見る事もなく呟く。差し出されたグラスに再び酒を注ぐイネスの顔は呆れたように笑っていた。 「……いえ。ただ、お礼が言いたくて――」 「ここはお前のような子供が来るところではない。親のところへ――……」 『親のところへ帰れ』と言い掛けた男が一つ咳払いをし、改めて言う。 「とにかく帰れ。酔った客に絡まれない内に、な」 「これ、受け取って下さい! 私にできるのは、これくらいしかできませんから……」 少女は手に持っていた“それ”を男の前へと置くと、もう一度深々と頭を下げて駆け足で酒場を出て行った。カウンターの上に置かれた物―――指輪のぶら下がったネックレス。一見その指輪に付いているのは緑色の宝石だが、実際にはこの街の外れの山から採取できる鉱石で珍しくもなければ高価なものでもなかった。 「あらそれ。今女の子の間で流行ってるのよね」 イネスが目敏くそのネックレスの指輪を手に取って眺めながら言う。 「コレが、か?」 「送った相手が怪我や病気をしないようにって言う……お守り。あなたにぴったりじゃない」 「ならお前にやろう。俺のような人間が持つ代物ではない」 「あなたがもらいなさい。唯一の報酬なんでしょ」 イネスの言葉に男はまたチッと舌打ちし、差し出されたネックレスを頭から提げた。胸元を見てみるが、彼は気に食わないといった表情でイネスを見る。彼女は『似合う似合う』と笑うと他の客の相手をする為に彼の元を離れていった。 “唯一の報酬”、とイネスは男に言ったが、彼は先の仕事に報酬をもらうつもりはこれっぽっちもなかった。ただ自分が勝手にやった事、あの少女の為でもなんでもない―――彼はそう思っていた。 二束三文にもならない仕事。誰に頼まれた訳でもない仕事。 俺は、何がしたいのだろう――。 それは彼自身もそして周りの仲間の誰にも分からない。だからこそその答えを求め、酒の入ったグラスを片手にただ自問自答を繰り返す。 暫くすると閉店の時間も近くなり、客達も散り散りになっていく。時刻は日付が変わった頃だろうか。酒場が店を閉めるには早過ぎる時間なのだが、この店だけは決まって日付が変わった頃に店を閉める。最初は客達も戸惑っていたようだが、アイナやイネスが『あなたを家で待つ人の為に、早く家に帰ってあげて下さいね』と言うとあっさりと頷いた。今では次の店に梯子する客は少なく、真っ直ぐに家路に着く者がほとんどだった。 イネスは最後の客に手を振って挨拶すると、カウンターの前に座っていた男のボトルをひょいと取り上げた。当然、男は顔を上げてイネスの顔を睨む。 「……何の真似だ」 「もう閉店よ、お兄さん―――いえ、レイヴン。……仕事よ」 イネスの言葉に、レイヴンと呼ばれた男は煙草を銜えマッチで火を点ける。その煙を肺一杯に満たし、ゆっくりと息と共に吐き出していく。 「またか? 昨日も“あいつ”が隣国へ出て行っただろう」 「どーもね、キナ臭い依頼なのよ」 そう言ってイネスは一枚の封筒を彼に手渡し、代わりに彼の手で燻っていた煙草を抜き取り自分の口に銜える。彼は何も言わずに封筒の中の手紙を取り出し、広げた。 ピクン、とレイヴンは眉を引き攣らせる。仕事の内容を、彼はごく最近見た事があったからだ。 「“あいつ”と同じ仕事、か」 「そ。どーせならいっぺんに二人を指定してきてれば、昨日の内に二人で行けたのに」 「――ねぇねぇ、その“ヴァル一味”って奴ら、強いのかな?」 二人に割って入るような形でアイナがちょこんと彼の前に顔を出す。香水のような甘い香りが彼の鼻腔を擽るが、彼はその香りは好きではなかった。今度は彼がイネスの口に銜えてある煙草を抜き取ると、灰皿に灰を落とした後に自分の口に銜える。 「いーからアイちゃんはお店の片付けの方やってて」 「はぁい」 イネスに注意され、アイナはつまらなさそうに雑巾を片手に各テーブルへと戻っていった。 「確かに、何か裏がありそうだが……行くしかないだろう」 「残念だわぁ。“ウチ”の男手が両方共出払っちゃうなんて」 「これだけ短期間に二回も依頼があるのなら、当分は――少なくとも俺達が戻って来るまでは次の仕事はないだろう」 「だといいんだけどねぇ。何かあったらお店を休ませなきゃならないから」 「たまにはいいだろう」 「よかないわよぉ」 レイヴンはフンと鼻先で笑うと、椅子から立ち上がった。煙草を銜えたまま、小さく呟く。 「――“Bloody Blue”の時間の始まりだな」 彼の瞳は獲物を狙う獣のように蒼く輝いていた。 To be next… あとがき 急がないと麻雀に遅れちまうよぉっ!(謎 |
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