Bloody Blue

#0「Dead or Dead」





 カツン、カツン―――。
 それは自らの存在を自分以外の誰かに伝える音。
 カツン、カツン―――。
 それは地獄へのカウントダウンの音。
 カツン、カツン―――。
 あるいは、天国へのカウントダウンの音。

 ――…カツン。
 ふと、足音が止まる。だがしかし、獲物へと歩み寄るその足が止まった訳ではない。
 “彼”は足音を消したまま、さっきと同じように暗く、長い螺旋階段を降りていく。辺りは松明の一つもない真っ暗闇で、遥か遠くの天井から漏れる光は既に“彼”の元へは届く事はない。先程まで響き渡っていた足音がまるで嘘のようにその場は静まり返り、自らの小さな吐息や心臓の鼓動でさえはっきりと感じる事が出来た。
 そして新たに感じる。自らの吐息ではない、何者かの荒立った吐息。それは自らの遥か上からか、それとも下からか―――迷う間でもない。何者かが自らの上にいる筈がないのだから。
 “追う者”と“追われる者”。“追われる者”が螺旋階段を下りに下って逃げている以上、“追う者”が留まる事はない。だが“追われる者”は足音が無くなった事から、荒立った息が徐々に安堵の混じった吐息へと変化していく。
 「愚カダナ」―――“追う者”の唇が、そう動いた。“彼”には獲物の動きが手に取るように分かっていた。幾度とない経験が、“彼”をそうさせているのだ。経験にない行動をする獲物など、少なくとも“彼”が今まで追っていた獲物にはなかった。
 そして今回の獲物も、例外ではなかった。
 “彼”が足音を立てずに階段を折り続けて、時計の分針が何度か小刻みに動いた後だ。

「くくくくっ…」

 低く、小さくだが、“追われる者”が声を押し殺したように笑う。
 愚かな獲物は、逃げ切ったと思ったのだ。自らが勝利したと確信したのだ。

 「本当ニ愚カダ」―――“彼”の唇が再び動く。
 そして次の瞬間―――。

 ガンッ!

 “彼”は思いっきり階段を蹴り、跳んだ。同時に「ヒィッ」と獲物が小さな声を上げる。
 “彼”の姿は螺旋階段の中央―――まるでぽっかり空いたドーナツの穴の中のような場所にあった。重力に引かれるまま、長い長い螺旋階段を、足を付ける事もなく静かに下っていく。時計の秒針が幾つ動いた頃だろうか、“彼”は突然手を前へ伸ばし、階段の淵を掴んだ。そして落下時に生じた衝撃がその階段を掴んだ腕に伝わる前にその腕に力を入れ、大きく前宙した。一回転した“彼”はまたしても音もなく階段に何事もなかったかのように降り立ち、いつの間にか腰のホルスターから抜いた一丁の拳銃を前方へ向けていた。
 その銃口の先に、“彼”―――“追う者”の獲物―――“追われる者”がいた。“追われる者”の身体は既に傷だらけで、衣服を自らの血で塗らしている。そしてその目は、恐怖と絶望に包まれ、光の欠片もなかった。何かを言おうと口をパクパクさせるが、喉から漏れるのは人の言葉には程遠い、ただの醜い嗚咽。
 カチャリ、と“彼”が拳銃の撃鉄をゆっくりと起こす。銃口は迷う事なく、獲物の眉間にあった。

「…っ、ま、ままま待ってくれぇっ! お、おおお俺がわ、悪かった!」

 “追われる者”がようやく人の解する言葉を口にする。必死に命乞いをする醜い姿。だがそれは“追われる者”の意図とは裏腹に、“彼”の逆鱗に触れた。

 ドンッ!

「―――ぎゃあぁぁぁあっ!!」

 拳銃から飛び出した一発の弾丸は眉間ではなく、獲物の右肩を貫いていた。傷口からドバッと鮮血が溢れ、ドクドクと手を伝って階段を濡らしていく。
 “追われる者”が再び何かを言おうとした。だが、それを口にする間もなく―――。

 ドン、ドン、ドン、ドンッ!!

 リズム良く銃声が鳴り響き、それと同時に肉片が、鮮血が辺りに飛び散る。弾丸はそれぞれ“追われる者”の左肩、右腿、左腿、腹部を貫いていた。激痛のあまり言葉に鳴らない言葉を発しようとする“追われる者”の口の中に、耳障りとばかりに拳銃の銃口を突っ込む。

「…最初の一撃であの世へ送ってやろうかと思ったが、気が変わった」

 “彼”が初めて声に出して言葉を口にした。

「貴様はこのまま、苦しみながら死んでゆけ。それが貴様が殺したあの子の両親への…小さすぎる報いだ」

 “追われる者”の口から拳銃を抜くと、“彼”はそのまま振り返る事もなく、自らがたった今降りてきた長い長い階段を登り始めた。下から聞こえる言葉にならない嗚咽が、足を進める度に少しずつ小さくなっていく。
 そしてやがて、聞こえなくなった。恐らく息絶えたのだろう。それでも“彼”は足を止めず、遥か高い場所にある出口を登り続けた。

 十数分経った頃、ようやく出口へと“彼”は辿り着いた。そこでようやく、初めて“彼”は足を止め、一度下の方へと目をやった。日の光の届かない深い地下は、改めて見ると全てを飲み込んでしまいそうなブラックホールが広がるような光景だった。

「―――人を殺した者が己の死を恐れるな。罪を犯した時点で、己は相応の罰を受ける覚悟をしておけ」

 出口へと飛び出した“彼”は初めて日の光に当てられ、その姿を現す。

「目には目を。歯には歯を。そして――…死には死を」

 “彼”は、まるで一羽の鴉のような――…黒いマントに身を包んだ青年だった。





To be next…


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